さしたる意味も無い、彼女のその右瞼を掻く癖に視線を奪われている間に電車は過ぎ去って行った。十七時四十三分、もう行かなければいけない。さようなら の「さ」を吐き出そうとした時、彼女が歪んだ笑顔を浮かべて、僕は諦めた。十七時四十四分、時間は早い、そして人間はいつも遅い。だから、その白い手を隠 してみたいと思って、いつまでだって此処に居られる。
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帰り道に長い砂利道があって、それは自衛隊の基地の関係で殆ど整地もされてなくて、街灯も全く無い少し寂しい通り。あまり利用する人も多くないから、 22時以降は長く暗い道に俺一人なんて事もザラで少し寂しかったりして。考え事をしたりして、いや、しないかなぁ、もう当分何かを真剣に考える事を止めて いる気がする。
もう五月はその半身を消しました。去年の五月も、一昨年の五月も、苦い想い出しか無い。それでも俺は砂利道を歩いて帰る事において何も変わらないから、人生みたいだねえと一人で思って笑う、空は紺色。
きっと俺はこの街を出て行きます、いや、街じゃないな、町か。そうしたらこんな微々たる体験も忘れていくんでしょう、忘れて生きます。だからさ、今度歩く時は立ち止まってみようかなぁなんて考えてね、今日も歩いた。ああ、そうそう雑草が生え始めました、脇道に。
普通ならば心地良く無いエピソードでしょう、こんな事。だけど俺はすがってしまう。いつか懐かしい懐かしいって咽び泣いてしまう気がするんです。長い砂利道、ただの道なのに、俺はたぶん悲しい。
寂しさに意味はありますか?ちっぽけな事の方が無くした時儚いんです。俺が、小さい頃に失ったイルカの置物の事を今でも覚えているように、それを忘れていく事が怖いように。
それは200mくらいの人生に見える。月は稀に赤く見える。雑草とタンポポは南風に揺れる。そして、俺はきっと明日立ち止まる。携帯電話、財布、イヤホン、紐の解けた白い靴で、いつまでだって此処に居られる。