[2009.12.17] 野良パンダ

「日本の笹マジうめー」
 わたしの家にはパンダがいる。のっそりとした動きと柔和な顔立ちで愛嬌を振り撒く動物園の人気者。が、わたしの家のリビングであぐらをかき、まるでポテトチップスを食べるようなインスタント感でみずみずしい緑の笹を噛んでいる。
「ていうか中国の笹の食感とかモロにプラスチックのそれ。あれは悪魔の笹」
「はあ」
「麻生久美子の映画撮影と聞いて見に行ったら、麻木久仁子だったくらい違う」
「それすごいショック」
「初めて日本の笹食べた時のショック感半端なかったわ」

 パンダさんに初めて出会ったのは大雨の夜だった。仕事から帰ってくると、私の部屋の前に大きな生き物が倒れていた。びしょぬれになったそれは、時折肩を震わせて体温を欲してるように見えた。
(なんかでかい犬いる)
「しかし犬にしてはでかい」
 そう呟き、恐る恐る覗きこむと、大きな生き物は唇を震わせ「だってパンダだから……」とその体に似合わぬ小さな声を発した。続けて私のお気に入りの白地 に黒い水玉の傘を黒く光る鋭い爪でゆっくり指し「それいいっすね」と言った。私はそれが嬉しくて、びしょびしょのパンダさんを部屋に招きいれた。
 パンダさんを玄関に待たせ、一番大きいバスタオルを持って戻ると、パンダさんは既に四足歩行でリビングへ向かっていて、しっぽからしたたる水滴と足跡が不思議な道を作っていた。そしてパンダさんはリビングの真ん中まで来ると、雨の日の野良犬のように体を何度か震わせた。そうして飛ばされた大量の水滴が、カーペットに、カーテンに、ベッドシーツに、パソコンに、テレビに、壁に飾られた油絵に、豪雨を思わせる勢いで飛ぶ。
 わたしは一瞬で水浸しになったリビングを見て、タオルを片手に立ち尽くした。思わず、あ、という言葉が漏れ、それを聞いたパンダさんは自分の行動の重大さに気付いたようで、こちらを振り返り、ばつの悪そうな顔で「野生の癖が」と呟いた。野生すげーと思った。
「マジごめん」
「いや部屋は大丈夫ですけど、それより体拭かないと」
 そう言って、わたしはパンダさんにタオルを手渡した。受け取るパンダさんの手の爪は明るい所で見ると余計に鋭く見えた。やっぱり野生すげーと思った。けど「これ柔軟剤惜しんでない」と気持ちよさそうに体を拭く姿を見ていたらとてもおかしくて、不思議と怖いと思わなかった。
「本当に助かったわ。自分のこととは言え、まさか野良パンダをすんなり部屋に入れてくれるとは」
 背中を器用に拭きながらパンダさんは言う。
「びっくりしたけど、傘を褒めてくれたから」
 私は正直に伝えた。
「傘?ああ傘ね傘良いよあれ良いよめっちゃキッチュだよあれうんキッチュすごいキッチュ」
 体を拭きおえたパンダさんは大きく伸びをして、冷蔵庫を一目見た。そして首を少し傾げて申し訳なさそうに「笹ある?」と私に聞いた。ああ、愛嬌ってこういうことなんだな、と思った。その日、その時から、わたしの部屋はパンダさんとわたしの部屋になった。
 次の日、わたしは笹専門の業者がいることを初めて知った。

 パンダさんは自分の話を嫌う。だからそれなりに長く共同生活を送ってきた今でも、パンダさんについてわかることは少ない。
 まず、パンダさんは男(雄?)だということ。一時期野良だったということ。年齢に関しては詳しくわからないが、少なくとも子供ではない。むしろ、笹を噛 みながらテレビの野球中継を見て「岸のカーブエグい」と言う後ろ姿は、中年ないし『おじさん』の雰囲気を醸しだしている。
 また、動物番組を見たときの「良く子供がカバを指さして可愛いねー優しそうだねーとか言ってるけどあれは森の殺し屋だから。基本目が笑ってないから」という発言から、恐らく何処かの森で他の動物と暮らした時期もあったのだろう。「上野動物園にいるパンダは資本主義に飼い慣らされて牙を抜かれたエリート野郎」「ゾウに喧嘩売ったら意外と足早くてびびった。あれは動物なんてもんじゃない、動く要塞」なんて発言もあった。案外血の気の多いタイプなのかもしれない。
 そんなパンダさんも、日中は大体ソファで寝ているかベランダで日向ぼっこをしている。夏の暑い日にベランダでうつ伏せに潰れている姿は、やっぱりただのおっさんにしか見えない。当人は野生を忘れて堕落していく自分の状況が心配なようで、たまに真剣な顔で「パンダ界にもニートの波が」と口走りながら求人情報誌をめくっていたりする。とはいえ前提条件で既にアウトなので仕事なんかあるはずもなく、最後にはふて腐れてベランダに突っ伏してしまうのだ。そういう時のしっぽはいつもよりふわふわに見えて、なんだか可愛い。私はそんなパンダさんのだらだらした姿を見るのが凄く好きなのだけど、夜中聞こえてくる地鳴りのようなイビキや冬でも暖かそうな毛並みを見ると、やっぱり野生なんだな、と思う。

 野生と言えば、わたしの仕事中家に残るパンダさんが心配で携帯電話を持たせようとしたことがあった。
 その日仕事から帰ったわたしは真っ先に、お茶を飲みながら『うしおととら』(わたしはこの漫画が大好きなのだ)を読むパンダさんの背中の毛をちょん、と摘んだ。
「今日はプレゼントがあります」
「笹?」
「違います」
「美味い笹?」
「違います。これです」
 そう言ってわたしは携帯電話の箱を取り出した。
「こ、これは」
 パンダさんは箱を確認すると漫画を野生の筋力でベッドに投げ捨てて、目をキラキラ光らせた。いや、もはやその目はギラギラの領域に差し掛かろうとしていた。
「こ、これケイタイだよね。うーわマジかーパンダ界にデジタル革命きたわーさすがに上野の連中もケイタイはもってないだろー」
 わたしは興奮しすぎて毛が逆立ち始めたパンダさんにお茶を飲ませて落ち着かせる。パンダさんは「野生の本能ごめん」と謝り、深呼吸をして息を整えた。
「で、で、これって音楽とか聴けたりインターネットとか出来るんでしょ」
「いやこれは年配の人用の簡単携帯だからメールと通話だけだよ」
「え」
「え?」
 突然パンダさんの目から光が消えた。そしてわたしに背を向けると、ベランダの近くまでのそのそ歩き、カーペットの毛を爪でむしり始める。背中には『やるせねえ、やるせねえのさ、パンダとは言え、やるせねえ』と書かれている。
「ねえパンダって老人カテゴリーなの」
 パンダさんが背中で語った。
「え?」
「パンダごときが一般のケイタイを使うなと」
「いやいや! そういう訳じゃなくてね! 最初は簡単な奴で、慣れたら新しいのにしようかなーと」
「パンダ嘘嫌い」
 初耳です。
 と思いながらも、わたしはちょっとめんどくさくなってきたので、箱から携帯をとり出し、しょぼくれたパンダさんの背中に向かって使い方を説明し始めた。カーペットは色々と悲惨なことになっていたが、わたしはそれを気にしないように説明書に目を向け続ける。すると最初こそやるせなさに打ちひしがれていた毛並みの綺麗な背中は、『メールの打ち方』そして『メールが出来ればこんなに楽しい』と説明が進むにつれてじりじりわたしに近づいてきた。そして「上野のパンダだってさすがにメールは使えないよねー」というわたしの決定打によってその背中は目の前まで迫ってきた。わたしはこのタイミングを逃すまいと携帯電話をパンダさんの近くに置く。パンダさんは置かれた携帯を一目見ると『全然興味ないから』という野生仕込みの演技で手に取った。パンダ釣れた、と思った。
「よしよし。じゃあまずはわたしがその携帯にメールするから持っててね」
 そう言ってわたしは『エリートパンダに圧勝の巻』という題名のメールを送信した。程なくしてパンダさんの手の中の携帯から単調なメロディが流れ始めた。パンダさんの背中がビクっと震える。
「お、お、なんか来た! ていうかなんか光ってる! すげー光ってる! めちゃめちゃ光ってるしうるせー! これすげーうるせー! うるせーし光ってるしこれすげー!」
 一瞬で興奮の絶頂に達したパンダさんの毛が逆立つ。
「ねえこれメール見るのどのボタンねえどのボタン! うーわまだ光ってるよしつけー! このケイタイしつけー!」
 そう言って勢い良くこちらに振り向き、わたしに画面を見せようと携帯の液晶に爪を立てた瞬間、何かが割れる音がした。
 そしてわたしたちの、あ、という声が重なったあと、カーペットに何かが広がるパラパラという音が聞こえてきた。携帯を見ると液晶画面が粉々に砕けてしまっていた。パンダさんは音だけが流れ続ける携帯を持ったまま、事態が受け止められないといった面持ちで「自分のポテンシャル舐めてた」と初めて会った時のような消えいりそうな声で言った。わたしはなんやかんやで野生すげーと思った。
「本当ごめん」
「しょうがないよ耐久性って言ってもさすがに野生動物は想定してないし」
「でも高かったでしょこれ」
「まあそこそこねえ」
「笹いくつ分?」
 その言葉と、カーペットの上に散らばる破片を確認して、このパンダ売ってカーペット買おう、と一瞬だけ思った。

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