[2013.01.19] 附言

 のどの奥であぶくのように膨らんでいる、いまにも溢れ出そうな濃度の何者かがすべての粘膜を焼きながらせり出して来る。消化のための体の働きがそれを助長し、コンクリートの固い地面に頬を擦り付けることを、今もなおよしとするように手招きしている。商店街の趣を少しだけ残す寂れた道を歩きながらも、視界は一定に留まることを許されず、あさっての方向へと注意を促し続けていた。際限なく余すところなく隙間なくひとつの毛穴を許すこともなく絶望している。そして、それはその際限のなさゆえに、頼りない美しさを放っている。俺は知っている、ひとつの美しさに捕らえられ、絶望というプラカードの立った独房に放り込まれる人たちのことを。まるで頓知のごとき表裏一体を肌いっぱいに感じ、暗闇の中で辛うじてそれとわかるパンにかじりつく。岩のようにゴワゴワしたそいつ。いとしいそいつ。肉親のようなそいつ。鬨をあげる人々の声が鉄格子のはまった窓を、ちょうど夏にふる豪雨のようにたたきまくる。十九歳の夏の大いなる一日は薄くうすうく引き延ばされ木綿のような質感で俺をまるっきりくるんでしまう。大いなる一日は大いなる信仰をまとって大いなる人生に寄り添う。俺の中のすべての人がそうあるように。教会にでも行ってみようと思った。願わくば、商業主義で信仰を道具として扱い酒に溺れ女性に溺れありとあらゆる欲望に埋もれそれでも聖職者と呼ばれることをいとわない人のいる教会へ。

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