[2013.01.13] 埃の家

 それは母のこと。不可視の壁に囲まれたわたしの生活で、何食わぬ顔を振りまく人。細長い煙草をふかして、ただれたからだを揺らして、ソファーの柔らかさにそのすべてをささげる。それはわたしの母のこと。欲のとどまるわたしの家、決して風が吹き抜けぬ古い窓。がらんとした二つの子供部屋。出て行った兄弟が わたしに残した小さな傷すらも、もはや懐かしく、いまでは母もわたしも違う生き物になってしまったようでした。
 母は休日になると若い男の家に行き、そのまま二日ほど帰りません。家にはいくつもの食べ物があって、わたしはできるだけ手間のかからないものを選び取っては、自らの欲求が赴くまま、何の秩序も届かぬまま空腹を満たしました。掃除の行き届いていないわたしの家はいつも埃と煙草のにおいにまみれていましたが、わたしが生まれた時から母は煙草を吸っていたので、少なくともそのにおいは至極当然のようにわたしに染み込み、それが不快かどうかもわたしにはわからなくなっていました。
 わたしが家事をしなければ、母も家事を進んでやる人ではありませんでした。ずぼらの血なのです。母のいない間、わたしは特にやることもなく、目をつぶり大きな本棚から出鱈目に本を取り出しては、それを読むことを繰り返していました。幾度となく繰り返されたそれによって、いまでは本棚はわたしの頭の中と同化し、染み込んでいます。決してこの読書は能動的なものでなく、事務仕事と同じくーティンワークの範疇にあって、そこに感情は存在していません。同じように、母が若い男のもとへ行くことを、不思議といやだと思ったことはありませんでした。その種がわたしの心に植え付けられていたしても、それが芽を出し、わたしの体に巻きつくことはなかったように思えます。
 ある日、私の姉が結婚することになりました。その式場へ、わたしは伯父の運転で向かっていました。車の中で伯父はいろいろな話をしてくれました。若い時から日本中を飛び回り、いまではスポーツ雑誌の編集長になった伯父は年齢よりも若く、話の面白い兄のような存在でした。数年ぶりに会ってもその印象は変わることなく、時が止まったままのような気分になりました。
 一通り伯父の話が終わった後、伯父はわたしにこう訊きました。
「葉子の様子はどうだい?」
 そうか、母は伯父にとって妹なんだ。と当然のことに少しハッとして、わたしはその言葉の意味を少し考えました。伯父は母が若い男の家に入り浸っていることを知っているのだろうか。伯父はそれを知って、咎めるべきと思っているのだろうか。急に恥ずかしくなって、途端に母が汚いもののように思えました。わたしはその衝動のまま吐き出しました。
「お母さん、若い男の家に入り浸ってる。家を何日も空けて、洗濯も掃除もしない」
 伯父は一瞬困った顔を見せて、少し黙りこみました。わたしも激情に駆られて怒りをぶつけた情けない子供になってしまった気がして、恥ずかしくなり、うつむきました。しばらくして伯父が、なあ、とわたしに問いかけ、話し出しました。
「あいつはな、十七歳の時に子供を授かって、家庭に入らざるを得なくなった。一番遊びたい時期にそうなったんだ。そのあとすぐ離婚して、今度は働きに出て、また遊ぶ機会を逃した。それを何年も続けて、いまやっと子供たちが家を出て行ったんだ。二十年以上も待ち続けたんだよ。わかるかい? ずっと待ち続けた一番自由な時間なんだ。なあ、俺にとってあいつは妹なんだ、小さなときから見てきた。頭のいい女だよ、決してバカじゃない。だから一人の女性として幸せになってほしいと思ってしまうんだよ。許してくれないか、すこしだけ、我慢してくれないか」
 言い切ると伯父はまた困った顔をして前を向きました。わたしはもう、何も言えなくなってしまいました。姉の結婚式の最中もわたしは伯父と口をきくことはありませんでした。母は誇らしそうな顔で花嫁姿の姉を、じっと見ていました。
 今までどうでもいいと思っていた母の行動が、その日その瞬間からわたしには汚らわしく映ってしまうようになりました。わたしは母を女性だと思ったことはありません。母は母なのです。それは間違っていたのでしょうか? それじゃあ、わたしはなんなのだろう。わたしは母の子供なのだろうか、ただ母の子供であることを「許されている」だけの人間なのだろうか。母は私の母であることを「保留」してしまったのだろうか。
 わがままを言う子供になりたいわけではありませんでした。それでもなんだか、棘のような違和感がわたしの胸に刺さったまま取れないのです。
 母は変わらず若い男に会い続けていました。わたしも変わらず手間のかからない食べ物を胃に流し込み、何の感情もない読書を続けました。家は埃と煙草のにおいにまみれ、二つの子供部屋はがらんとしたまま。何も変わることはありません。わたしの胸に刺さった棘も、抜けることはありません。
 姉の結婚式から半年後、わたしは、この埃の家を出ました。

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