俺は昨日ごと欠乏し、反対にお前は明日も美しいのだ。欠陥こそが純潔の証拠だと、お前は柔和な大型犬のような顔で、どこかしことふれまわる。俺はあいしているのだ。熱いものを口に含む時必ず息を吹きかける行為のように、俺はおまえをあいしているのだ。アルコールランプがふと消えたときの時間の真空を、俺はおまえに感じる。だから、欠けていることは俺に安心感を与える。救いを待つように、餌が与えられるのを、俺は期待している。例え与えられたものが残飯だと、この世のすべての汚いものをかき集めた塊だとて、俺はそれを喜んで頬張り、もう一度、もう一度、頬を揺らして頭を垂れる。敗北主義が鋭利な刃だと信じて疑わないおまえ。乱反射する罵声をつかみとって、内ポケットに忍ばせるおまえ。収束していく点に体をねじこもうとするおまえ。これ以上失うものなどないのに、もはや失うことを失おうと、両目をふさぐおまえ。いつもいつもどんな時でもおまえは、わざと間違えようとする。おまえはそうして快楽の種をつみとる。飛び交う流砂の中から、ひときわ輝く蝶を見つけ出すのが、おまえはうまい。ハリボテの蝶を愛すのが、おまえはうまい。誰よりもうまい。だからおまえは誰よりも美しい。体のどこからどこまでが自分なのか、おまえは昼食を食べながら考える。食べ終わる頃には四肢を義体にしようと思い至る。おまえはいつもわざと間違えようとする。おまえは昼食を食べ終わると、いつも花を見る。花を見て、親のない子供の姿をイメイジする。それが終わると、今度は尊大な態度の衛生兵をイメイジする。しばらくすると「種を植えるね」と言う。俺は信頼が皮膚に馴染んでいくその瞬間が、ことさらほこらしい。おまえは美しいから俺はおまえをあいしている。
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