[2009.06.05] fal ca dour

手を繋ぐ、頬に触れる、髪を撫でる、抱きしめる、キスをする、セックスをする。それだけでは何も意味が無い。触れる事は万能ではない。そんな事は僕も解っていたから、僕は極力彼女に触れない様にしていた。体に触れても、向こう側に届かない気がしていたからだ。
「じゃあ僕はどうすればいい」
「どうもしなくていい」
「僕の優しさで君を救えないなら、どうすればいい」
「もう何もしなくていい」
何もしないとはなんだろう。
「受け入れるだけじゃ、何も共有出来ないの」
くすんだ緑のソファに深く腰掛け、目は遠くを見つめ、耳は真っ赤になる。
「触れるだけじゃ、何も変わらないの」
遠くに一軒家が見える僕の部屋の窓に、彼女の姿が映らない。僕の姿しか映らない。無性に喉が乾き、視界が狭くなっていく。グラスに反射する光が万華鏡の様に飛び込んでくる。不自然な力が胃に入り、目の前の机に僕は消化物を吐き出した。
「あなたは受け入れてきたつもりかもしれないけど、最初から見たいモノしか見てないじゃない。1年前、誰が傷をつけたの? 何の為に? 救うって、誰を?」
くすんだ緑のソファは、お金が無いから2人で1人分のスペースを使おう、と言って僕が買った。底の浅いグラスのセットは君がウィスキーを好きになる様に僕が買った。傷をつけた小さなハサミは、君が前髪を切る為に使っていた物だった。
「じゃあもう消えろ! もう消えろよ! 何もないじゃないか、何もないぞ! 結局何も残りゃしない! 僕にも、君にも、時間にも、何も、もう、何も残らない!」
もう僕には彼女が見えなかったが、叫びながらただひたすら彼女の居るであろう方向に腕を振り回した。
1年前、彼女は僕を捨てた。そして僕は彼女のハサミで頬に傷をつけた。いつでも忘れない様に、いつでもそばにいる様に。共有していられる様に。
「誰も救われたいなんて思っちゃいないさ、君だってそうだろう! 触れる事なんてゴミみたいなもんだ、受け入れる事も、そんな、ゴミみたいなもんだろう! 愛情なんてクソだ、君も僕も、何も変わっちゃいない!」
グラスを床に叩き付け、彼女にもらったハサミでソファをめちゃめちゃに切り裂く。隣の部屋の住人が壁を叩いている。アルコールが血流を促す。優しい左目を瞑る。ソファの羽毛が視界を白く埋める。
窓に映る僕の頬に、もう傷はない。それを見て僕は声をあげて泣く。おもちゃを取り上げられた子供みたいに、声をあげて泣く。

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