一年の焦燥はたった五秒の決断で打ち砕かれた。私が行き先の分からぬバスに揺られている理由は、ただそれだけ。失恋旅行なんて俗っぽいモノ、嫌ってたのになあと思いながら、今はそんな俗っぽさがぬるま湯のように心地良く感じてしまう。窓から見える銀杏がそれを肯定するように連なる。
隣の席の男子高生はしきりにメールを打っている。幼い横顔が文豪に見えるのは、きっとそれが愛を囁くメールだからだろう。
私は男子高生とその彼女を想像する。彼女はきっと小さな体を一杯に使って、その日あった事を箇条書きのように伝える。そして最後に彼は彼女の頭を撫で、おもむろに手を取るのだ。
(友達にしか見えないんだよ。女として見れないんだ)
突然小さな針が刺さって、思わずおでこを押さえる。そしたら、少しおかしくなった。痛いのは頭じゃなくて胸なんだけどなあ。どうやら人は失恋すると、自分の体との関係すらギクシャクするらしいと、初めて知った。
ふと気付くと、おかしな様子に気付いた男子高生が、じっと私を見ていた。ギクシャクしたままの私は、彼に話し掛ける。
「彼女にメールしてるの?」
彼は突然のことに戸惑った顔をしたあと、恥ずかしそうに携帯を膝に起き、ああ、はい、と言った。
「彼女のこと好き?」
「え、なんで……」
「好き?」
「……はい」
小さな声は小さな針に変わる。
「そっかあ。お姉さんね、失恋したの」
彼は何も言えずに口をモゴモゴしている。私だったらこんな女嫌いだなあ、なんて思いながら、話を続ける。
「それでね、旅してるの。目的地は決めて無いんだけどね」
「旅……」
「でもそろそろ疲れたから、一休みしたいの。君は何処で降りるの?」
少し間を置いて、次です、と呟いた彼の目を良く見て私は言う。
「じゃあ私も降りるから、案内してよ」
「え?」
体を引いて、おどおどしてる彼を見てたら、なんだか私がとっても悪い女になったみたいに思えた。でも、今はそれで良いと思った。だから私は当然のように、震える指を抑えながら、停止ボタンを押す。
「案内してね」
精一杯の俗っぽさで言う。彼は携帯電話を強く握ったまま何も言わない。
二人そろって降りる段差の途中、私はよろけるフリをして彼の手を握った。その横顔にもう文豪の威厳は無くて、私はそんな彼にこれから小さな針を打ち込むのだと思うと、胸の痛みが麻痺していくのを感じた。
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