その日を踏みにじるための食事をとり、排泄をし、おぼつかない会話をし、震えるほどの、気が狂うほどの罪悪、それも消費されることのない性質のものを胸に抱えて眠りに落ち、ぼくは長大な夢を見る。別人になる夢を見る。容姿も性格も家族も友人もそのどれもが、てんでバラバラ、統一感など一切ない、この現実と全く異なる風景の夢を見る。異国のようにも思えるが、この国のことのようにも、遠く昔の時代のようにも思えるが、たったいまのことのようにも、ここにある楽園のようにも、そこにある地獄のようにも思える。
そこではおびただしい数の花が咲き、そのすべての花弁がちかちかと発光している。演説に煽動された民衆のおぞましい興奮を目の当たりにしているような、時代が解放されうるときのあやしいそれが、その場所では一瞬も滞ることなく蔓延っている。そこでぼくは優しい妻と共に暮らしている。可愛らしい我が家、誇らしいぼくらの家、ある時はレンガ造り、ある時は木造建築、ある時は藁葺きで、またあるときは、空の真下何にも遮られない高原にある、ぼくが帰るべき家。
心にもない言葉でさえ、そこでは誠実さを帯びる。心にもない優しさでさえ、そこでは確かな脈を打つ。灯りのない家に宇宙を持ち込むような傲慢さでさえ、そこではささやかな笑顔の種となる。朝食の度敷かれるテーブルクロスにはぼくたちのだらしのない口からこぼれ落ちた無数の食べかすが染み付きひどく汚れている。ぼくらのマナーはいつだって最低で、ルールはいつまで経っても守られることはない。ぼくらの本当にどうしようもない安物のタバコ。ぼくらの本当にどうしようもない生活から溢れ出る煙の行く先。風景へ溶け込む悲鳴に耳を澄ますあさましさ。楽園のような地獄。曰く、果てのようなもの。果てのようななにか。果てのなかの小さな実。果て、はて、ハテ。果てそのもの。そのどれかの果て。
そこでぼくは優しい妻と、未だ見ぬ我が子の帰りを待っている。
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